はじめまして、
遠江の国のグランドマザー花使い「あみ」です。
3/30に愛知県新城市の桜淵公園の桜を見てきました。
満開でした~!
帰りに奥山高原にも行きました。
桜と花桃が満開で素晴らしかったです。
若い人たちに促され、あれよあれよという間に立ち上がったブログサイト。
「なにか寄稿してくださ~い」とはるさめちゃんに促され、重い腰を上げた次第です(笑)
今回は原点に振り返って、「お花をいける理由」について考えてみました。
お付き合いくださいね。
目次 非表示
1.いけばなを始めたきっかけ
皆さんがいけばなを始めたきっかけは、なんでしょうか。
振り返る事かれこれ50年以上前、私はいけばなを始めました。
私は田舎育ちで、木登りが得意な子供でした。
木の上に秘密の場所をつくってみたり、ターザンごっこをしてみたり、、、
今の子供たちのように、豊富なおもちゃ等はない時代でした。
ですから、もっぱら自然を相手に遊んでいました。
自然の植物は、いっぱいありました。
私の記憶にあるのは、家の庭には花々ではなく野菜、あの当時はどこの家にも野菜を植えていました。
戦後のことで、優先順位は食料が一番、お花は次ですから-。
どこのお家でも、なにがしかの花が隅っこの方で咲いていました。
私は、花屋さんで買ってくるものではなく、その辺で咲いている花を摘んで花瓶にさしていました。
とある日、お花の組み合わせをどうしたらよいものか、困ったことがありました。
どんなお花を摘んでいいのか、
どこを切ったらよいのか、
全部切ってくるにはいかないし、、、。
そこで、いけばなの先生に習いに行こう!となった訳です。
2.華道コラムの一節
お花を触ること50年-。
山あり、谷あり、嵐あり、、、
お花が好きでここまできてしまいました(笑)
2006年2月号の「華道」、「心に花を」というコラムの一節をご紹介します。
「花は静寂そのものです。
与えられた環境がどんなものであれ、その中でひたすら咲いています。
花は自己中心的な欲望が薄く、他を害することをしません。
それゆえ静寂でいられるのでしょう。
人間は他の生物に比べ、求めるものが多いだけ苦も多いのです。
求めるものが少ないとそれだけ静寂でいられます。
花は生きながらまるで涅槃に入っているかのようです。」
(華道2006年2月「心に花を」から引用)
3.お花をいける理由
私たちは、この静寂が欲しくて、花に携わっているのではないでしょうか?
そして、こんなふうに言い換えることもできます。
花を生けていると静寂になれるー
初生けで宗匠は「心を大事に」とおっしゃいました。
改めて皆さんも、「なぜお花をいけるのか」を考えてみてくださいね。
それではまたー。
※こちらの記事は、2006年3月池坊浜松遠陽支部青年部「花ふうせん」へ寄稿したものに、加筆修正したものとなります。